おとこもすなるTwitterといふものを、まだすぼみもしてみむとてするなり。

というわけで、このところ少しばかりTwitterというものに触れてみました。
i_subomii
まだすぼみ @mimimiroppu


ただただ闇雲に糞サイト認定するのではなく、実際に自ら糞を踏んでからああやっぱり糞だったなと認定しようと思えるところまではオトナになったみたいです。


さて、いざTwitterを使ってみると、なるほど。とても気軽に思ったことをカキカキすることができる。

それも、「つぶやく」というあくまでも自己完結した行為であるという体を保ちながらも、その一方で、どっかで他人からのリアクションを心待ちにすることもできるというなんとも都合の良い仕組みを有している。すなわち、メールのような一対一を積極的に強いるような堅苦しさがなく、人と人との間に適度な距離感を自然と保つことができる。うん、アメリカ発祥でありながらも、極めて日本人向けなWebサービスとなっていることは認めよう。

このような気兼ねのない「つぶやき」の体もあってか、わたし自身も心に移りゆくよしなしごとをつれづれなるままに書き綴りアウトプットするといった回数が少なからず増えましたが、もしかしたらこれは非常に有益なことなのではないでしょうか。やっぱり、2リットルにも満たない容積なノーミソの中だけでぐるぐる思考を回してるだけじゃ、なかなかうまいこといかないよね。

例えば小学生の頃、授業中の手持ち無沙汰な時間にふと鉛筆で好きな子の名前とかをノートの端っこに書いたりとかするじゃないですか。あの瞬間のようなものですよ。自分が手を動かして愛しのあの子の名前を書いたという現実を目の前にして、少年少女はもわーんとした曖昧なノーミソの部屋から飛び出してようやく事の重大さに気付くのです。「あっ、恋しちゃってるんだ・・・!(˃̵ᴗ˂̵)و 」って!!! オッサンノリノリだな。

Twitterでつぶやくというのは、これに近いことをしてると思います。好きとか嫌いとかそういうテーマに留まらず、自分の中で言語化されていないもわもわした感覚を、積極的に言語化し表現する。それによって、自らが思いもよらないことを考えていたんだなと新たな発見をすることができる・・かもしれない。
また、そうして発せられた言葉が他人に見られ(得)るという状況そのものが、言葉の現実感をより増していくと共に、もしかしたらその言葉をキャッチして投げ返してくれることがあるかもしれないという未来への伸張性を創り出す。これはノートの端っこにこそこそと好きな子の名前を書いているだけではなかなか得られない感覚でしょう。

以上のことを踏まえると、Twitterを実際にやってみるまではWeb資源の無駄としか思えなかった、「疲れた」、「眠い」のようなたった一言のtweet()さえ、わだかまる胸中をちょうど言語化してる最中だという、個々人で見れば極めて意義深い行為であったのだと推察されます。Twitterすごい。でも糞な部分も多々ある。けど今回はいい点だけ書くことにする。もう疲れたもん!


そして、これから現れるであろうTwitterに慣れ親しんで育ったチビッコたちは、非常に表現力豊かなものになるのではないかと思う一方で、蛇口が常に開きっぱなしの水道のように、思ったことをただただ口に出さずにはいられないようなものになるのではないかとも考えられ、非常に興味深い観察テーマであるなという所感でございます。

どちらにせよ、「140文字程度で説明せよ」みたいな試験問題の回答欄を埋めるのはうまくなるんだろな(あくまでも埋めるだけ)